「愛で」生きるとき

私 岡島久子は、フラメンコの枠を超えた‘新たな目標’に向けて歩を進めるため、教授活動に区切りをつけることにしました。
22年の長きにわたってご愛顧賜った『岡島久子フラメンコ教室』を近々クローズし、その後は今までと違う自己表現方法で発信活動を続けたいと考えています。
生徒さん円満卒業に向けて追い込みレッスン中の現況と、私自身の今後の活動構想とが折り重なり、ふと思い浮かんだことを記述してみます。


 

昭和→平成→令和と時代移りゆく間に、「インターネット」という怪物級の発明が世界を激変させました。
加えて「コロナ」の衝撃が、世界 ひいては 地球の変化を加速させています。
かつて人は、地位・名声・お金や物の所有といった「我欲」をモチベーションに働いたり行動したりが常でした。
しかし今や、先進世界では「愛」をベースに動くのが不文律化しています。
エコ活動や‘SDGs’が良い例ではないでしょうか。

国際社会において日本の存在感が低迷しているのは、そこに大きな理由があります。
日本の政治経済は未だ、薄暗いお金や利権の存在=我欲ありきで成り立っている様相ながら、国民性ゆえ革命は然り暴動さえ起きません。
平和で変わりない日々は尊いと言える反面、「破壊なくして創造なし」との言葉どおり、いつの間にか日本は落ち目の苦境にさらされています。
「愛」が足りないのです…

葉っぱの茂みにあるハート型の穴

 

私がフラメンコ指導してきた日本女性を見ていると、外国人と大きな違いを感じます。
●日本女性3大あるある→「必要以上に遠慮恐縮する」「自分の意に反して他人に合わせる」「NOと言えずに我慢する」

日本古来の家庭環境や教育環境から、自分を押し殺してでも従順であること=良いこと と錯覚し、洗脳レベルで浸透してまっているようです。
そこから派生する「依存体質・自立しすぎ・お金のブロック」などの問題は、本人に気づきが起こらない限り、一生涯にわたり不都合な現実を招いてしまいます。

「愛」とは…
「受け取ること/与えること」=‘足し算的なもの’と思われがちですが、
「何もしないこと/待つこと/NOと言うこと」=‘引き算的な愛’もあって、むしろ実践が困難です。
真面目で人に尽くすことを美徳と思い込まされてきた日本女性にとって、「足し算的な愛」は容易でも、「引き算的な愛」には「恐れ」がつきまといます。
何もしないで待つ→忘れられるんじゃないか… NOと言う→嫌われるんじゃないか… という「恐れ」ですね。

青空に放たれた赤と白のハート型の風船

 

でも、子育てを考えてみてください。
子育てなら自然と「足し算的な愛」を実践できているのではありませんか?
なのに我が子以外の人間関係となると「足し算的な愛」ばかりに目が行って、「引き算的な愛」の勇気はなかなか持てないのではないでしょうか。
身近な例だと… 男女関係で男性からLINEやメールの返信がないからと、焦って何度も送信を重ねたり、イライラや不安を募らせたりする日本女性はとても多いですよね。

 

日本社会で「引き算的な愛」を放てる人はまだまだ数少ないです。
これからの世界では「我欲=エゴ」は滅び、「愛」からの行動が光を招きます。
「足し算的な愛」はそのままに、「引き算的な愛」に着目してみてください。
真面目で心優しい日本女性にとって、「足し算的な愛」はやりすぎ=尽くしすぎ注意!
「恐れ」を超えて「引き算的な愛」の勇気を持つことです。

「恐れ」をなくすには「自己肯定感・自分軸」をブラッシュアップして、精神(感情)をニュートラル=中庸に保つことが大切になってきます。
えっ、難しい!?
ではまたの機会に詳しく説明できればと思います。笑

岡島久子

岡島久子の顔写真 水滴のついた深紅のバラ1輪

 

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